オイラ ノ ノウミソ

韓国語を学ぶということ 2

そういえば、前の投稿で「学ぶということ」について何一つ書いてなかったんでね?と思ったw

じゃ、改めまして・・・(笑)

おいらにとって「韓国語を学ぶということ」は一体なんだろう

きっかけは9年前の韓国旅行。
免税店ではアジュンマたちが流暢に日本語を話して商売しまくってて、まぁ、片言なんだろうけど、うーーん、勉強熱心なんだな、凄いな、なんて思いつつ、負けず嫌いなところも相まって「始めよう」て思った。
始めた頃は、「語順がほぼ同じだし、単語さえわかれば・・・」なんて思ったりして、甘くみてた。

でもね、先ずはハングルからなんだよ。読めないんだよwww

それでもハングルを克服してからは順調に?進んでる?w

韓国語を学ぶようになってから、ちゃんと学び始めてからは大体3年になるんだけど、ようやく学ぶ「目的」、「目標」、「夢」が、見えてきた。
少しぼんやりとしてるかもしれないけど、でも、見えてる。

そんな「目的」、「目標」、「夢」の一つに「翻訳家」になることがある。
学ぶ上で見えてきた翻訳という仕事。
これは、単に言葉を母国語に訳すというだけのことではない。
原語の文化や背景を探り知ることが必須となり、それと同時に、母語をより知り、表現できるようにならなければならないのだ。

そのことのおかげで、読まずにしまってあった本を取り出して読み始めたり、いろいろな人の文章を読もう、という気持ちが上がってきている。

違う国の言葉を学ぶことでその国で暮らす人々の心が少しでも覗ければ良いなと思っているけれど、それ以上に母国の言葉の奥深さを知ることにも繋がっていると感じている。

韓国という国は隣で近くて文化的交流が古代からあり、似ているようなところもあるかと思っていたけれど、やっぱし全く違うんだ。

まだまだ、韓国語を学ぶことで得るもの、気づくこと、たくさんあるだろう。

そして翻訳を仕事にすることは最終目標なのではなく、その先にみている夢もある。
それはまたいつかに。

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